22:堺での留置き
堺まで引き回されて来たものの、その時点では二十四人への最終的な処分は決定されていなかったようです。一行は、1月5日の夕方から処分の決まった翌日の9日の朝まで堺に留め置かれました。
どうして決定に3日もかかったのか、その間の秀吉と側近たちの遣り取りは興味のあるところです。
二十四人の罪状書きは「ルソンからやって来た云々」となっていたようです。しかし、それに該当しそうなのは外国人神父たちの6人だけ。あとの十八人は日本人ですから、3日考えたにしてはお粗末な内容です。
私は誰からも留め置かれることがなかったので、そのまま長崎を目指しました。
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