歩いて長崎へ>26:続・第5日・2008年1月9日(水)






26:続・第5日・2008年1月9日(水)





  この日は、昔風に言えば摂津から播磨への旅です。二十六聖人の一人で、優れた日本人説教師であったパウロ三木は、この摂津の生まれです。

  父親は三木半太夫。阿波国出身の武士で、1564年頃、幼い息子と共にキリスト教の洗礼を受けています。その幼い息子の洗礼名がパウロ。1581年、父半太夫は、当時仕えていた織田信長の領地に出来た安土セミナリヨにパウロを弟ダミアンと共に入学させます。
  その後、パウロは転々と移されるセミナリヨで修練を積み、1587年の秀吉による伴天連追放令の時には平戸の生月島で難を逃れています。やがて、イエズス会の修道士となり、長崎や大坂で奉仕し、その大坂で捕らえられています。

  父半太夫は信長の死後、豊臣秀吉の忠実な部下としてその生涯を終えています。その忠実・誠実な人柄は、息子パウロにもしっかり受け継がれているようです。






<<25:第5日・2008年1月9日(水)    27:万歩計>>